歴史の教科書には載らない、しかし確実に歴史を規定してきた「影の力」。 今回ご紹介するのは、現代諜報史研究の第一人者、カルダー・ウォルトンによる記念碑的な大著『スパイたちの百年戦争』です。
著者:カルダー・ウォルトンの視点
カルダー・ウォルトン氏は、ケンブリッジ大学で博士号を取得し、MI5(英国保安部)の公式史編纂にも携わった経歴を持つ、まさに「情報の裏側」を知り尽くした歴史家です。
彼が本書で描き出すのは、1917年のロシア革命から現代に至るまで、西側諸国とロシア(旧ソ連)、そして中国との間で繰り広げられてきた「終わりのない知略の戦い」です。
本書が解き明かす「諜報の世紀」
単なるエピソード集ではありません。ウォルトン氏は膨大な機密解除文書を駆使し、以下の鋭い分析を提示します。
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「100年」の継続性: 私たちが現在目撃しているサイバー攻撃や情報操作は、実は100年前のボリシェヴィキの手法から地続きであること。
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情報の「質」と「受容」: どんなに優秀なスパイが情報を持ち帰っても、政治家が自らのバイアスでそれを歪めて解釈したとき、悲劇が起きるという歴史の鉄則。
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冷戦の再定義: 冷戦は1945年に始まったのではなく、1917年から現在まで形を変えて続いている「100年戦争」であるという大胆な視点。
学術性と物語性が融合した「衝撃の記録」
本書は、単なるスパイ・スリラーではありません。英国MI5、MI6、米国のCIA、そしてソ連のKGBといった組織がいかにして国家の命運を左右してきたかを、膨大な機密解除資料から描き出しています。
特筆すべきは、その圧倒的な評価の高さです。
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『フォーリン・アフェアーズ』、**『フォーリン・ポリシー』**両誌の最優秀図書に選出。
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ケンブリッジ大学のブレンダン・シムズ教授をして「政策決定者にも衝撃を与える内容」と言わしめた分析力。
暗殺、情報操作、選挙介入、そして現代のサイバー攻撃まで――。かつて「マフィア国家」ロシアや「デジタル権威主義国家」中国が用いた策謀の原点が、100年前のボリシェヴィキの手法にあることを本書は鮮やかに証明しています。
【目次】歴史の断面を切り取る
本書の構成(第Ⅰ部〜第Ⅲ部)は、まさに「衝突」の歴史そのものです。
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第1章 諜報の世紀
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第Ⅰ部 独裁体制と民主主義の衝突
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第2章 東の冷気
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第3章 因果応報
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第4章 スターリンの攻勢
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第Ⅱ部 文明の衝突
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第5章 世界大戦から冷戦へ
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第6章 パズルの迷宮
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第7章 裏切りの風土
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第Ⅲ部 兵器の衝突
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第8章 戦場
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第9章 科学技術
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第10章 一〇月のミサイル
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上巻から下巻へと続くこの壮大な叙事詩は、私たちが生きる「今」という時代の危うさを理解するための最強の補助線となるでしょう。
現代の「新冷戦」を読み解くために
上下巻にわたる圧倒的な情報量ですが、ウォルトン氏の筆致は非常にクリアで、現代の地政学的リスクを理解するための「必読の教科書」となっています。特に、中国の台頭と知的財産を巡る諜報戦に触れた終盤の議論は、今まさに私たちが直面している問題そのものです。

